プロレス(最近はドラゲーがメイン)・K-1・総合格闘技 & 絵本について思う事


by ts-1863
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カテゴリ:格闘技( 179 )

多団体時代ますます加速

わずか2年半で、新生UWFも分裂した。前田-リングス、高田-UWFインター、
藤原・船木-藤原組へとそれぞれの道を歩み始めた。船木・鈴木はしばらくして、パンクラスを旗揚げした。船木の無駄なくビルドアップされた肉体に、皆どぎもを抜かれた。「ハイブリッドレスリング」と呼ばれる、ガチンコの闘いを繰り広げ、「秒殺」という言葉も生まれた。
また、この頃、ルチャだけの団体「ユニバーサル・レスリング」も存在した。すぐにつぶれてしまったが、現在のみちのくプロレスや闘龍門(現DRAGON GATE)のルーツと言える。みちのくから独立した、大阪プロレスやK-DOJYOもその流れの一つと言えよう。
さらに、女子プロレスもジャパン女子が旗揚げし、全女のみから多団体時代への
幕が開けられたのだ。
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by ts-1863 | 2004-07-11 21:17 | 格闘技 | Comments(0)

新しい格闘技路線の誕生

話の流れで、インディ系に先にふれてしまったが、その対極とも言えるU系が誕生していた。旧UWF崩壊後、新日と全面対決が始まった。藤波と前田の闘いはかなりスリリングであった。しかし、長州襲撃事件により前田が出場停止処分となり終了。そしてついに新生UWFが旗揚げする事になるのだ。後から、藤原や船木・鈴木も合流し、一時代を築いた。ロープワークを無くし、ポイント制を導入し、よりスポーツライクに演出していた。(あえてこう言っておこう。おそらくこの時代はまだガチンコではないだろう。ファイトスタイルは違うが、所謂プロレスの範疇だったと思う。)当時、週刊プロレスのターザン山本編集長がUWFを絶賛し、ほとんど宗教的でもあった。そのため長州から取材拒否され、結局編集長をクビになってしまった。プロレスを愛するがゆえに職を失ってしまったのだ。すごい出来事だと思う。
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by ts-1863 | 2004-07-10 12:19 | 格闘技 | Comments(1)

プロレス混迷期3

全日にも大量離脱の危機が訪れた。天龍らが参加したSWSの旗揚げである。
メガネスーパーという企業がオーナーの団体で、部屋制度を軸にしていた。
理想は良かったが、現実はそう甘くはなかった。スター選手が少なく、2流3流の寄せ集めで、かつ皆が大将になりたがるばかりで、うまく機能せず結局つぶれてしまった。天龍が母体を引き継ぎ、WARとして続けられた。
この頃、大仁田がFMWを旗揚げし、邪道プロレスが産声をあげた。
インディーズ、多団体時代の幕開けである。
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by ts-1863 | 2004-07-09 16:41 | 格闘技 | Comments(0)

プロレス混迷期2

前田明をエースとする旧UWFが誕生し、同じ頃長州はアニマル浜口と維新軍を結成し、その後ジャパン・プロを旗揚げした。新日からの離脱が相次いだのだ。
さらに長州は全日へ参戦し、天龍・鶴田らと熱い戦いをした。遅れて国際軍団も旧UWFを経て、全日にやって来た。R・木村は、新日時代の憎まれ役から打って変わって、マイクパフォーマンスでのほのぼの路線へと移っていった。「金網デスマッチの鬼」時代のファンには辛い出来事かもしれない。僕はそうでは無いので、木村がマイクを握るのを心待ちにして楽しんでいた。渕の嫁さん探しネタが懐かしい。
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by ts-1863 | 2004-07-09 12:01 | 格闘技 | Comments(0)

プロレス混迷期1

新日黄金期終盤から、外人スター選手の引き抜き合戦、新団体誕生などと、プロレス界は混迷期あるいは転換期を向かえた。
猪木が自ら提唱したIWGPの王座決定戦で、ホーガンのアックスボンバーで失神した。一般の新聞紙上でもニュースとして扱われた大事件であった。
猪木・馬場の2大巨頭の時代が終わりつつあったのだ。
ハンセン/ジェットシンが全日へ、ブッチャー/ブロディが新日へと引き抜かれた。
長州力の「噛ませ犬」発言から、藤波・長州の「名勝負数え歌」が生まれ、日本人対決路線が本格化した。
また、国際軍団との対立もあり、新日ではより殺伐とした色合いが濃くなった。
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by ts-1863 | 2004-07-08 22:06 | 格闘技 | Comments(0)
G・馬場は、もう既にエースから1歩引いていた頃だったので、のんびり試合をしてた。軽くステップを踏んだだけで、会場はどよめいた。相手が場外に落ちたら、「馬場、飛べ!」と野次がとんだ。また、相手のバックをとったら、「馬場、ジャーマン!」と野次がとび、場内は大爆笑だった。
あと、前座で無名の若手がいい試合をしていた。スピードがあり、動き・技に切れがあった。実はそれが、若き日の小橋健太だったのだ。やはり、スターになるやつは最初から違うなあと、つくづく思った。
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by ts-1863 | 2004-07-06 12:17 | 格闘技 | Comments(0)
プロレスの話にもどろう。
大学生になって、初めて会場に足を運んで生の試合を観た。知り合いから全日の試合のチケットをたまたまもらったのだった。会場は近くの市民文化センターの体育館だった。2階席だった気がする。TVではわからない色々な事が見れておもしろかった。
まず、前座とメインイベントとの選手のテンション・力の入れ具合の差には驚いた。前座の試合では、10分経っても汗もかかず、バンバンいい音がしてても実際には殴ったり蹴ったりはあまりしてなくて、足でリングを踏み付けて音を出しているのがよく解った。一方、メインでは、天龍やハンセンだったと思うが、5分もしないうちに汗びっしょりになり、一つ一つの技の重みや迫力が違った。
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by ts-1863 | 2004-07-05 11:09 | 格闘技 | Comments(0)

功夫をはじめて

大学生になると、周りにプロレス仲間はいなくなった。そこで、功夫を習い始めた。(ことわっておくが、通信教育ではない。)
最初の2年間は、週に2回きちんと道場に通い(と言っても公園やビルの屋上なのだが)、家でも結構練習した。大学3・4年になると、講議やサークルが忙しくなり、練習回数は減っていった。日本で初めて開かれた功夫の散打の大会(演武ではなく、グローブとマスクをつけて実際に殴り合う形式)にも出た。元来、
体力はなく練習不足でもあり、すぐに負けてしまった。それでも、この頃が自分の格闘技体験(実戦)のピークであった。
その後は、断続的に太極拳などを続けている。今は全くの趣味・健康づくり程度である。以前のように飛んだり跳ねたりできない。すぐ腰にくるのだ。30才を過ぎたとたんにそうなった。これからは、細ーく長ーく行くしかない。
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by ts-1863 | 2004-07-03 15:22 | 格闘技 | Comments(0)

空手や功夫への興味

この頃から、他の格闘技にも興味を持ち始めた。極真などの空手や功夫である。
空手バカ一代のマンガはよく読んだが、空手をやろうとは思わなかった。ごつい
感じがして自分には向かないと思ったのだ。
功夫では、ブルース・リー亡きあと、ジャッキー・チェンが人気であった。
ニヒルでかっこいいリーより、コミカルで派手なアクションのジャッキーの方が僕は好きだった。
さらに、当時『少林寺』が公開され、新しいスター「リー・リンチェイ」が登場した。(今はハリウッドスターのジェット・リーである。)映画館で2回、レンタルビデオ・TVでも繰り返し見た。技が凄すぎて、何回見ても飽きないのだ。
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by ts-1863 | 2004-07-03 07:27 | 格闘技 | Comments(1)