プロレス(最近はドラゲーがメイン)・K-1・総合格闘技 & 絵本について思う事


by ts-1863
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自分的プロレス復活期

地上波のゴールデンタイムのプロレス中継はほぼ壊滅。(ワールドプロレスリングは深夜の枠まで30分に短縮された、、。)
しかし、ここ数年BS・CS・CATVなどでは、マイナー団体の試合や、新日・全日・
NOAHの前座の試合から全て見れるようになった。
僕は地元のCATVでGAORAを見ている。そのため1ヶ月遅れぐらいで放送されていて、かつ定期的ではない。大一番はペイ・パー・ビューになってたりするので、フリーで見れるのは2ヶ月遅れぐらいになる。プロレス雑誌でリアルタイムな情報を得て、あとで映像を確認する事が多い。
それでも、プロレスの中継を見る機会が増えたのは、素直に嬉しいのだ。
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by ts-1863 | 2004-07-29 07:32 | 格闘技 | Comments(0)
僕がプロレスから遠ざかったいた数年〜10年程前の間に、いくつか大きな出来事があった(もちろんプロレス界の話だ)。

 ・平成10年、A・猪木が引退した。
  この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ。
  危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となる。
  迷わずいけよ いけばわかるさ。ありがと〜う!
 ・翌年にG・馬場がこの世を去った。そして、全日は分裂した。
 ・さらに次の年、J・鶴田も亡くなった。
 ・新日の武藤・小島らが、全日へ電撃移籍!

馬場が居なくなった全日や大山倍達が居なくなった極真は直後に分裂した。
猪木が死んだら、プロレス界はどうなってしまうのだろうか?

 
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by ts-1863 | 2004-07-27 12:28 | 格闘技 | Comments(0)

プール&由布院

去年は冷夏で一度も泳ぎませんでした。今年は猛暑で、プール、プール、プール!
お盆明けには、由布院&別府の予定で〜す。
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by ts-1863 | 2004-07-26 21:13 | その他 | Comments(0)

プロレス疎遠期

プロレス中継がゴールデンタイムから消えて数年後、僕は大学を卒業し、就職した。
忙しい事もあり、プロレスを見る機会は激減した。深夜のTV中継を見る元気は無く、
わざわざビデオにとって見る気もしなかった。週刊プロレスやゴングを時々立ち読み
して、かろうじてプロレスと繋がっていた。
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by ts-1863 | 2004-07-25 22:08 | 格闘技 | Comments(0)

bee-lunchさんへ2

残念ながら、文字化けなおりません。
僕のPCはMacなのでダメみたいです。(T_T)

ところで、「マッハ!!!!!!!!」の予告CM見ました。ほんと凄いですね!
僕的には「少林寺」を初めて見た時の衝撃を思い出しました。
初期のジャッキー・チェンも越えてそうです。
ぜひ見に行きたいですね!
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by ts-1863 | 2004-07-23 11:55 | その他 | Comments(3)

K-1;アンディ・フグ3

アンディは空手・K-1で成功し、本国スイスでも国民的英雄となった。
日本での活躍によってスイスで英雄になるなんて、他人事ながらなんか嬉しかった。
しかし、4年前の夏、急性前骨髄性白血病のために突然35歳で亡くなってしまった。
中山リングドクターが最近書いた本によると、1週間以上も高熱がありながら練習もしていたそうだ。スイスの病院ではまだ原因がつかめず、日本に来てからその中山ドクターらの診察を受け、大学病院で検査・治療したが、手後れだったようだ。中山ドクターは、自分が診察してからは、最速で診断・治療が行なわれたと書いてある。そのとうりなのだろう。もう少し早く、精密検査を受けていれば、、、。
サムライ魂がそうさせなかったのかもしれない。
もうすぐ4回忌である、合掌。
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by ts-1863 | 2004-07-22 20:51 | 格闘技 | Comments(0)

K-1;アンディ・フグ2

K-1参戦とともにアンディは、極真を離れ正道会館に移った。
彼はスイス人だが、足は長くなく、体型的には日本人と同じ様であった。魂はまさに
”サムライ”であった。というより、日本人よりもサムライ魂があったと思う。
練習には太極拳をも取り入れ、東洋人になりたかったのかと思ってしまう。
グローブをつけての戦いに慣れなかったのか、最初の頃はなかなか勝てなかった。1996年になって初めてK-1GPを制覇したのだ。
その後、ピーター・アーツやアーネスト・ホーストらとコマーシャルに出演したりして(「ごーめんください、ごーめんください」のフレーズが懐かしい)、K-1を越えた人気者になっていった。
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by ts-1863 | 2004-07-20 15:35 | 格闘技 | Comments(0)

K-1;アンディ・フグ1

いまでこそ、K-1と言えばボブ・サップが顔という感じだが(でも彼はPRIDEが先のはず)、4年前まではアンディ・フグであった。
アンディは元々極真空手の出身で、世界大会で現松井館長と決勝戦を戦ったのだ。外国人選手初の決勝進出であった。惜しくも準優勝であったが、「カカト落とし」は衝撃的であった。松井館長も華麗な足技が得意であり、二人の戦いは間違い無く名勝負であった。(その少し前の極真は、重量級の選手がパワーで押す試合が多かったので、僕には特にそう感じた。極真初期の盧山対山崎の試合のように、一瞬のすきをつく果たし合いのような戦いをまた見たいものだ。)
その後、アンディはプロに転向し、グローブをつけてK-1ファイターへと転身したのだ。
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by ts-1863 | 2004-07-19 19:46 | 格闘技 | Comments(0)

K-1の誕生

1992年、K-1が始まった。「K」は、空手、キックボクシング、カンフーなど
の頭文字である。つまり、立ち技系の最強を決める闘いの場である。
極真空手の大阪支部長から独立した、正道会館の石井元館長がプロデューサー
であった。そのため、試合は3〜5ラウンド制、大きな大会はトーナメント方式で、一日に2〜3試合と空手の大会式のルールになっている。短期決戦のため勝負が早くつき、また、派手なKOシーンが多いため、たちまち人気格闘技となった。
初期は、カンフー・テコンドー・カポエラの選手も出場していて、「空手バカ一代」の戦いを再現させたようだった。しかし、これらの選手はパワーが無いため
あっさり負けていた。
初代K-1グランプリ王者はブランコ・シカティックであったが、一般的な知名度は低かった。その後、アンディ・フグやピーター・アーツなどのスタ−選手の登場により、その人気は確固たるものとなっていった。
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by ts-1863 | 2004-07-18 22:15 | 格闘技 | Comments(1)
ちょうど10年前に、UWFインターの安生が、ヒクソン・グレイシーの道場に道場破りに行った。しかし、返り討ちにあい、顔面をボコボコにされて帰った。
週刊プロレスでその写真や記事を見た時は、かなりショックだった。まだグレイシーの凄さを知らない頃だったので、余裕で勝つと思っていた。
でも、ここからヒクソンVS高田の戦いは始まったと言える。そして今のPRIDEに繋がるのだ。元々、PRIDEが始まったのは、ヒクソン・高田戦を実現させるためだったからだ。ただ、高田をはじめ日本人は誰もヒクソンに勝てなかった。船木が、ヒクソンの顔面に傷を負わせるのが精一杯であった。残念!
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by ts-1863 | 2004-07-17 07:23 | 格闘技 | Comments(1)